新宿パークタワー ディクショナリー VOL.1
2019.09
~新宿パークタワー計画以前の西新宿~
1994年4月に竣工し、今年で25周年を迎えた新宿パークタワー。東京ガスグループが所有・運営するこの超高層ビルが建つ前は、この辺りにはどのような景色が広がっていたのでしょうか。西新宿の歴史とともに振り返ってみましょう。
江戸から明治へ、穏やかな農村だった西新宿が変わり始める時
約100年前の西新宿一帯は、現在の"オフィス街"というイメージとはかけ離れていたようです。
「新宿」という名がついたのは、江戸時代のこと。甲州街道の宿場町として発展したことから、"新しい宿"という意味でつけられたといわれています。その頃の西新宿エリアは、「角筈村(つのはずむら)」という農村が大部分を占めており、のんびりとした雰囲気だったそうです。
1885年(明治18年)、新宿停車場(現新宿駅)開業を機に、西新宿は大きく変化していきます。路線の延長や私鉄の参入などが進み、鉄道事業が拡大。それまで行き来が難しかった東京、品川といった巨大ターミナルと接続したことで、変革期を迎えます。
街の変化の一つが、1898年(明治31年)の淀橋浄水場完成。この時に初めて近代水道ができ、西新宿は"東京の水道発祥の地"として、さまざまな地域を支えることになります。
ガス供給のため、現在の新宿パークタワー建設地にガスホルダーを設置
1909年(明治42年)12月、東京ガスは東京西部にガスを供給するため、豊多摩郡淀橋町大字角筈字新町(現・新宿区西新宿三丁目/現在の新宿パークタワー建設地)に約3万3000平方メートルの土地を取得します。
そして、1910年(明治43年)7月には淀橋供給所を設置し、300万立体フィートのガス溜を建設、東京ガスの営業・供給拠点となります。ちなみにガス溜は、1949年(昭和26年)12月に、水槽に浮かぶガス層にガスを貯蔵する「有水式ガスホルダー」に建て替えられます。
なお、この地はもともと梅の名所で、梅が咲いた様子がまるで銀世界のようだったことから、"梅屋敷銀世界"と呼ばれていました。その梅林は現在の港区・芝公園に移植され、今でも毎年花を咲かせています。
明治時代が終わり、西新宿はさらなる発展を遂げていきます。1923年(大正12年)に起きた関東大震災により、銀座、浅草といった繁華街が被災。都心を離れる人が続出し、地盤の強い武蔵野台地の東端に位置する新宿に目が向けられます。震災による被害が少なかったこと、都心からのアクセスの良さなどが評価され、東京の中核を担うターミナルへと成長していくのです。
浄水場の移転、超高層建築の建設を経て、徐々に「新都心」へと成長
1958年(昭和33年)7月、浄水場の土地96万平方メートルに総合的、能動的な商業・業務街、官庁街などの市街地を作り、立体的な土地活用を図るための「新宿副都心計画」が策定されると、1965年(昭和40年)、淀橋浄水場は東村山に移転されます。
のちに新宿パークタワーとなる淀橋供給所の土地と切っても切り離せないのが、東京ガスによる「新宿地域冷暖房センター」の建設で、1971年(昭和46年)に竣工します。これは、当時問題となっていた各個別ビル暖房の重油燃焼による大気汚染対策や、ビルの美観等の観点から、都市ガスによる冷暖房を推進するためのものでした。
時代は少しさかのぼりますが、建築基準法で「高さ31mまで」とされていた耐震基準が1963年(昭和38年)に緩和され、超高層建築が建設可能になります。西新宿エリアにおけるその第一号が、1971年(昭和46年)にオープンした京王プラザホテルです。
新宿地域冷暖房センターの竣工は、京王プラザホテルの開業に合わせたものでした。東京ガスによる初の地域冷暖房供給先が、京王プラザホテルだったのです。
超高層ビルが立ち並び、現在の表情へと近づいていく西新宿エリア
京王プラザホテルを皮切りに、新宿住友ビル、新宿三井ビル、新宿センタービルなど、200mを超える超高層ビルが、続々と建設されていきます。また、1960年代を境に、小田急百貨店や京王百貨店、西口地下広場の建設など、新宿駅周辺の再開発も進みました。さらに1980年代には、新宿NSビル、新宿エルタワーなどが竣工し、現在の西新宿へ近づいていきます。
一方、新宿地域冷暖房センターと同じ土地にあった淀橋供給所の有水式ガスホルダーは、1973年(昭和48年)12月に、都市ガスを貯蔵するために理想的かつ合理的な形状の「球形ガスホルダー」に建て替えられていました。しかし、1978年(昭和53年)に新宿地区の熱量変更を行ったことで、地上にガスホルダーを置く必要がなくなったため、東京ガスは1986年(昭和61年)に淀橋供給所のガスホルダーの解体を開始し、1991年(平成3年)に完全に撤去されます。
同じく1991年(平成3年)、東京都庁舎の新宿移転に合わせ、新宿地域冷暖房センターが淀橋供給所敷地内の南東側へ移設されたため、ガスホルダーと新宿地域冷暖房センター跡地の高度利用を図ることができるようになります。ここで検討された計画が、新宿パークタワーの建設だったのです。
平成の始まりとともに、名実ともに東京の重要拠点となった新宿。新宿パークタワーの竣工に至るまでの歴史は、次回ご紹介しましょう。
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