新宿パークタワー ディクショナリー VOL.2 2020.02 ~新宿パークタワー完成までの3年7カ月~ 西新宿を代表する高層ビルの一つとなっている新宿パークタワー。1994年4月に完成し、25年以上の時を経てきました。竣工当時は全国で8番目、西新宿エリアでは東京都庁第一庁舎に次ぐ高さだった新宿パークタワーは、どのように建てられたのでしょうか。建設中の写真とともに、振り返ってみましょう。 多様なエリアが交わる土地に建つ「立体的な街」 現在、新宿パークタワーが建っている土地は、長年にわたり「淀橋のガスホルダー」として親しまれた東京ガスの供給・営業拠点でした。1978年(昭和53年)に行われた新宿地区の熱量変更によりガスホルダーは撤去され、この土地の高度利用を図るため、新宿パークタワーの建設計画が立ち上がりました。 計画は、東京都の長期計画方針「ビジネスとふれあいの広がる街」に沿って進められ、新宿中央公園とのつながりや周辺アクセスの改善、敷地の50%程度を公開空地として確保することなど、地域共生にも配慮するものとなりました。 また、建設予定の土地は、超高層ビルが立ち並ぶ「ビジネスゾーン」、新宿中央公園を含めた「グリーンゾーン」、新国立劇場方面に広がる「カルチャーゾーン」が交わる場所。そのため、新宿パークタワーは、商業・業務・宿泊・文化施設を含んだ立体的な「ひとつの街」として計画されました。 日本を代表する建築家・丹下健三氏が設計した地上52階、地下5階、延床面積26万9000平方メートル、高さ235メートルの新宿パークタワーは、1990年(平成2年)9月28日に起工式が行われ、建設が始まりました。 タワークレーンで組み上げ、少しずつ姿を現していった超高層ビル 当時、まだ少なかった超高層ビルは、複数のタワークレーンを使用した工法で建てられました。この大規模な工事には、延べ100万人(1日に換算すると約1,000人)もの人が携わっていたのだとか。 工事が進むにつれて、新宿パークタワーを象徴する三角形のモチーフも、姿を現していきます。 例えば、高さの異なる3つの三角形が印象的な最頂部の屋根。北側に向かって低くなっている階段状の形態は、電波障害やビル風などを考慮しつつ、新宿中央公園に大きな影を作らず、圧迫感を与えないための配慮から生まれたそうです。1階ロビーの天井やポーチの屋根部分、敷地内の植木などに採用された三角形デザインと相まって、現在も統一感のあるシャープな雰囲気を保っています。 建物の印象を決める外壁には、イタリア・サルデーニャ島の花崗岩が使われ、上品なテイストに仕上げられました。 外観だけではなく、安全と快適性も追求しています。その一つが、当時は珍しかった制振装置TRIGONの設置。強風や地震による揺れを抑え、高層階、特にホテルでの居心地の良さを実現しています。 また、新宿パークタワーの大部分を占めるオフィスフロアにも珍しい設備を設置しました。オフィスの中にいると、特に夜間は外の天気が分かりづらいことを想定し、オフィス各階のエレベーターホールに「傘マーク」を表示する降雨情報システムを導入。このシステムはビルで働く人たちに、今でも重宝されているそうです。 1994年4月、当時は珍しかった「複合ビル」が完成 プロジェクト発足から8年弱、そして着工から3年7カ月ほどの時間をかけて、1994年(平成6年)4月25日、新宿パークタワーは竣工しました。 当初の構想の通り、9階から37階はオフィス、地下に商業施設、39階より上にはラグジュアリーホテル「パーク ハイアット 東京」を配置した超高層複合ビルとして開業。今でこそ、上層部にホテルが入っているオフィスビルは珍しくありませんが、当時はほとんど例がなく、東京の文化を牽引するビルとなったのです。 オフィスへの通勤や商業施設の利用、ホテルでの宿泊など、たくさんの人がそれぞれの形で訪れてきた新宿パークタワーも、2019年4月に25周年という節目を迎えました。これからも西新宿のランドマークの一つとして、時代を重ねていくことでしょう。 ※記事内容は掲載当時のものであり、現在は変更されている場合がございます。 トップへ戻る